深ーい爆睡状態から目覚めたのは、なんともう夕方になろうかとする頃でした。
日中のほぼ半日間、しっかりと段ボールを身体に巻き付けて、トイレに起きることもなく、薄暗い見知らぬ地下道でただひたすら眠りこけていたのです。
枕にしていたバックパックも、中に入れていた財布やポケットのキーも、入口に停めたRG50Eも、フックに引っ掛けたメットも幸い全て無事でした。
交差点の細部場所すら今となっては定かではなく、当日地下道を何人の通行人が使われたかについては全く予想すらできないのですが、ただの一人からも声をかけられることがなかったことから、愛知県の皆さんに異常事態だと全く感じさせることのない、大変に自然な本物のホームレスさん的な雰囲気を醸し出していたのだと思います。
急遽ホテルに泊まったのさ・・・一期一会
睡眠はしっかりと取り、元気回復はしたものの、腹が物凄く減っているのに気が付きました。
当時はコンビニってあまり郊外では見かけなかったように記憶しています。
あったとしても食品というよりも日用品を購入するっていうイメージの方が強かったように思います。
牛丼屋さんや弁当屋さんなんかも、タンフーはあまりお世話になっていなかったんでしょうか。
ただただ食事と入浴をしたいってことで、地下道周辺の電話BOXの電話帳をめくって当たりを付け、しばらく走ってやっとこさ投宿したのが、、、「大猿ホテル」または「大猿旅館」っていう名前の結構大きな宿でした。
本記事を書くにあたり、「大猿」をキーワードにさんざん検索してみましたが、結局、関連情報にヒットすることができませんでしたので、この宿の名前が正しいのかどうか確証がありません。
しかしながら、後に実家到着後、免許証を紛失していることに気が付き、大騒ぎした時、このホテルのレストランで食べたカツ丼とラーメンの食品サンプルの横に「大猿定食」っていうメニューがあったことを思い出して宿を特定し、見事に浴場で落としていた免許証が手元に戻ってきたっていう事件があったので、「大猿」っていうワードだけが脳に刷り込まれているわけです。
何か心当たりのある方がいらっしゃれば、ぜひともコメント欄にてご教示いただければ幸です。
ここの従業員の皆様には本当に暖かく小生を迎えていただきました。
小汚い恰好をし、176㎝の身長に全く不釣り合いな小さな鎌倉市ナンバーの原付でやってきた若造に、部屋や風呂、レストランの案内など、素晴らしいホスピタリティで親切に対応していただいた強い印象があります。
愛知県の方に知り合いは今もいないのですが、愛知県と聞いただけで当時の暖かい人情に触れた喜びが思い出され、一期一会の力って凄いものだなぁって、その後の人生でずっと思えるきっかけになったできごとでした。
その晩は、食事、温泉の後、覚えたばかりのビールを一杯飲んで、再び翌朝までぐっすりと畳の上で休んだのでした。
RG50Eは絶好調!
ホテルを早朝に出発して、再び国道1号線を西進し、名古屋市付近まで来たところから、大阪市内で国道2号線に入るまでの経路は、正直あまりよく覚えていません。
なにせ原付ですから、高速道路はもとより、一般国道でさえ自動車専用みたいな道路があって、だいぶん迷いながら進んでいったというのが本当のところでした。
給油は150~200㎞に一回、オイルの継ぎ足しは50~100㎞に一回の頻度で、そこまで進んできました。
この間、ひたすら〇〇km/hをしっかりとキープして進む我が愛車は全くの絶好調でした。
一度も故障することも、パンクすらすることもなく、常にキック一発でバイーンって始動する頼もしいやつでした。
信号で停まった時など、鎌倉ナンバーの小生に気が付いた地元ライダーの皆さんが、しょっちゅう声をかけて応援してくれ、本当に楽しく嬉しかったのを思い出します。
一夜二日でたった約500㎞程走っただけでしたが、「スロットル一捻りで世界中のどこまでも」の思いは、もはや夢ではなく現実感を伴った事実として、自身にバイクの無限の可能性を確信させたのでした。
特に50ccというシリンダーの小ささが、タンフーには強く印象的でした。
たった内径3cm・行程7cm程しかないピストンの上下運動が、これだけの働きをするっていう驚きです。
中学1年生の図工の授業で、プラ板を切って2ストエンジンの作動模型を完成させて悦に入っていた自身の思い出も、この驚きを増強させていました。
一方的にお勧めするバイクはこれだ!
それやこれやで、この人生初の長距離1,000kmツーリングは、宇高連絡船経由で四国松山まで無事に終了したのでした。
だから、これからバイク、特に手始めの原付購入を検討している人に「RG50Eになさい」とはちょっと流石に言えません。
中古市場には今なお結構なお値段でRG50Eが出回ってはいます。
が、今回強くお勧めするのは、「クラッチ付のバイク」ってことになります。
「今までカブやパッソルをさんざん勧めておいて、なんて奴だ!」とのご批判は甘んじて受けます。
今回は「スロットル一捻りでどこまでも」の追体験をしてもらいたいがために敢えてそうお勧めさせてください。
「どこまでも」がポイントです。
長距離ツーリングともなると、いろいろなシチュエーションに遭遇します。
舗装路・悪路、高速・中速・低速、平たん路・上り路・下り路、晴天・曇天・雨天、強風・無風、・・・・遭遇する状況の組み合わせを列挙するとキリがないほどです。
「どこまでも」行こうとするのであれば、「どこまでも限りなく状況に適合させる」操作技術の必要があると考えます。
その答えが「クラッチ付のバイク」ってことになります。
現代技術の発展は恐ろしいくらいで、バイク変速器の自動化技術はまさに目を見張るものがあります。
HondaさんのDCT、YAMAHAさんのYCC-ATを代表として、まさに世はオートマチックバイク花盛りの様相を呈しています。
でも、初めっからそういった高度に制御された装置付のバイクに乗る必要はないとも思っています。
「バイクは単なる移動手段としての機械ではない。」ということを言おうとしているのではありません。
赤ちゃんは、生まれてから歩き始めるまでには、実にいろいろな段階を我々に見せてくれます。
首が座り、お座りができ、寝返りしたかと思うとハイハイで動き始め、つかまり立ちを経てヨロヨロと歩き始める。
そういった段階的な成長は、極めて重要だということを聞いたことがあります。
ハイハイを経ることなく立ち上がったり歩いたりするのは、一見素晴らしい能力のように見えるかもしれなけれども、実はよくよく考えなきゃいけないよってことです。
バイクに乗るって、ちょっとそういう赤ちゃんの成長に似たところがあるように感じませんか。
タンフー自身も、父カブや母パッソルの見取り稽古に始まって、自腹初RD50そして2台目RG50Eと図らずも段階的にバイクに慣熟していったように思っています。
「スロットル一捻りでどこまでも」行くためには、あらゆる状況に適合した乗り方の基礎を身に付ける必要があることでしょう。
クラッチ操作は、バイクにおけるハイハイに当たると激しく確信するわけです。
ちょっと強引な思い込み的ブログとなってしまいましたが、原付を手に入れようとするならば、「クラッチ付のバイク」は強くお勧めする有力な選択肢であることに間違いはないでしょう。
後悔はしないと思いますよ。素晴らしい体験ができますように!
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