バイク購入を検討中の方に一方的にお勧めします(その2:ホンダRD50&ヤマハパッソル)

人生を振り返った時の自腹購入2台目のバイクは「YAMAHA RD50」っていう原付バイクで、YAMAHAさんのHPで確認したら1972年発売の空冷4スト、5段変速、タンク上部とシート上面がほぼ同じ高さに直線的に見えるという印象的スタイルのかっこいいやつです。

バイトで貯めたお金で買ったのさ

当時のタンフーは、町のはずれにある山の上の学校まで片道8kmの道のりをチャリツーする高3生でした。

炎天下も嵐も物ともせずに、ひたすら毎日全力でチャリを漕いでいたので、両脚の太ももはパンパンに鍛えられ、それはそれで青白い受験生の健康維持に大いに役立っていたのですが、右手首をクイッとひねるだけで思うがままの場所に移動できるように見えるバイクにはずっと憧れを抱いていたんです。

「きっと世界中のどこにでも行けるんだろうなぁ」もうバイクに乗りたくて乗りたくて、進学先が12月初めには決定していたので、冬休みの全部プラスαの期間をお寿司屋さんのバイトに打ち込むことで、購入資金調達を図ったのでした。

底冷えする早朝から大量の米研ぎや炊飯、開店後は皿洗い、出前、来店されたお客様へのお茶出し、夕方になると近所のマンションへのおせち料理のセールス回りなんてのも結構遅くなるまで笑顔でこなし、ネグリジェ&カーラー姿の多分水商売の寝起きお姉さまが玄関に出てきて真っ赤になったりしながら、それまでに貯めていた小遣いやお年玉とあわせ、大枚55000円をやっとこ手にしたんです。思えば1980年1月冬のことでした。

ど素人の高校生に米を炊かせるお寿司屋さんもいかがなものかとは思いますが、それはさて置き、貯まったお金全額を握りしめ、通学途中に目星を付けていた小さなバイク屋さんで中古のRD50を即金で買い、意気揚々と自宅に乗って帰ったんです。

原付免許は事前に試験場へチャリで行ってパパーっと取得していました。

母にほうきでぶっ叩かれました、そしてその日にバイク屋さんにお返ししました

いやー、母のあんな鬼の形相を見たのは、今までの間で最初で最後です。

現在満90歳、要介護2でデイにほぼ毎日通う、少しアルツハイマーの母。

もともと地方警察署長のお嬢だったB型の母は、畳を掃き清める長さ1.5mほどのほうきの柄を、あぶさん(水島新司著「あぶさん」参照)の物干し竿よろしく握りしめ、ベッドの中まで追い詰めたタンフーを、布団の上から何度も何度も上段の構えからしばきあえたのでありました。

B29やグラマンが来襲する中、来るべき本土決戦に備え、女学生時代に軍から施された竹槍訓練が、こんなところで成果を発揮したのだと思います。

「あんた、これから上の学校あがらないかんのに、、、なに考えてんの!」って泣きながら。

突然の展開に、痛いよりもびっくりが優先して、情けなくも布団に潜り込んで防戦一方というか、嵐が過ぎ去るのをただただじっとこらえるのみでありました。

母は当時、大女優「八千草薫」さんがにこやかにテレビで宣伝する初代「パッソル」っていう自動遠心クラッチの黄色の原付を親父に買ってもらい、毎日自由に乗り回していました。

従って、あらかじめ相談なく突然に知らされたとは言え、同じ原付を手に入れた息子をほうきで追い回すなんて、母親の気持ちを全然分かっていなかったアホなタンフーには全く予想だにしていない、まさに青天の霹靂であったのです。

母にしてみれば、パッソルは自転車のように極めて安全な乗り物で、RD50はカミナリ族(注:昔の暴走族)が皆の迷惑顧みず爆音轟かせて乗り回す、完全に不良少年のシンボル的製品だと思っていたんだと思います。

現代のように、必要な情報がネットで直ちに検索できる時代とは違って、新聞とテレビで一方的に流される情報を鵜呑みにすることが一般的だった時代です。

母の誤解もまあ仕方のないことだったでしょう。

仕方がないので、すぐにバイク屋のおっちゃんとこ乗って行ったら、「親の言うことはきかないかんよー」ってなことをちょっと嬉しそうに言いながら、50000円で引き取ってくれました。

タンフー人生初の自腹購入バイクは、こうして「長ーい半日5000円也」の思い出を強烈に残したのでした。

思えばこの体験が、後のバイク人生へのきっかけなんです

親父のカブの記憶もそうでしたが、還暦過ぎてもなお記憶に残り続ける子供の頃の体験って、一人の人間の生き様を静かにしかし確実に方向づけていく、不思議な影響力があるもんだなってつくづく思います。

小生の場合、このバイク返却物語は、非力だった自分を懐かしく振り返ることのできる、大好きなバイクにまつわるちょっと笑えるエピソードだったということができます。

一歩間違えると、親からほうきで一方的にぶっ叩かれた子供虐待の悲惨な被害者としての記憶だったのが、お笑いに寄り気味で、ちょっと懐かしい、ほのぼのとした記憶に変異しており、従ってその後の人生に好影響を与えてくれたのだと確信しています。

一方的にお勧めするバイクはこれだ!

そっちかい!って言われそうですが、今回のお勧めはYAMAHA「パッソル」です。

これって「バイクなのに腰掛けるように美しく乗れる」をキャッチコピーとしていて、それまでバイクとはほぼ無縁だった女性層の感性に働きかけるエポックメイキング的な役割を果たしたバイクです。

今でも中古車を購入可能です。

手首をひねるだけで世界中のどこにでも行けそうな気にしてくれる自動遠心クラッチと、それまでの日本のバイクにはなかったカラフルな色どりの塗装が、一方的にお勧めする決め手です。

微妙なクラッチワークもバイクの魅力なら、ガバーッとアクセル全開にすることのできる原付スクーターの自動遠心クラッチも等しくバイクの魅力なのです。

もう当時の街中には、クラッチ操作とは縁遠そうな女性の皆さんが、背筋をピンと伸ばして操る原色パッソルが溢れかえっていたという印象です。

2023年の今においても、当時の新車価格69800円の何倍ものプレミア価格が付いた、程度のいいパッソルが結構出回っているようですよ。

「八千草薫」さんや母は、タンフーよりも約30年ほど早い時代を駆けていました。

日本国中が高度経済成長ど真ん中で、明るい将来への夢できらっきらしていた時代です。

爽やかにかつ颯爽とパッソルを転がす当時のCMを、Youtubeでぜひご堪能いただき、タイムスリップした令和においてバイク購入意欲を掻き立てていただければ、今宵のお酒もまた格別かと思います。

素晴らしい体験ができますように!

母のパッソルは、もうちょっと黄色黄色してました。

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